師匠であり、私の父(85歳)から教わったのは、単なる漁の技術だけではありませんでした。
先日、共に仕掛けた刺し網に掛かったのは、30匹ほどの立派な鮒(ふな)。そこから始まった父の「鮒との暮らし」が、あまりにも面白く、そして深いのです。
天然の「生きた冷蔵庫」という知恵
父は家の前に自作の水槽を構えています。写真にある通り、ネットを張り、絶えず新鮮な水が流れ込むその場所は、いわば「天然の生け簀」。捕れた30匹の鮒は、一度にシメられることもなく、悠々とこの水槽に放たれました。
ここからが父の真骨頂です。 父はこの水槽から、「1日1匹」だけをすくい上げます。 ある日は鮮やかな「刺身」に、ある日はじっくり味の染みた「煮付け」に、またある日は「味噌汁」に料理するのです。 つまり、父の食卓にはこれから丸一ヶ月、毎日欠かさず鮒料理を準備できるというわけです。
「消費」ではなく「共生」する食卓
普通、これだけの獲物があれば「鮮度が落ちる前にどう処理するか」「誰にお裾分けするか」と、出口戦略に追われるのが現代人の性(さが)でしょう。しかし、父のスタイルは実に見事な「スローライフ」を体現していました。
水槽で活かしておくことで、鮒たちは「食材」であると同時に、食べる直前まで「共に過ごす命」であり続けます。自分の食べたいタイミングで、一匹一匹に感謝しながら命をいただく。この「行き場を急がない」余裕こそが、今の私たちに欠けている豊かさではないかと、ハッとさせられました。

究極の自給自足に見た「豊かさ」の正体
一日に一度、一匹の命と向き合う父。 思わず私は「親父、これだけで生きていけるんじゃない!」と声をかけてしまいました。それは半分冗談で、半分は本気の言葉でした。便利さや効率が最優先される世の中で、目の前の水槽から今日の食材を得る。この「当たり前」のサイクルが、これほど新鮮で、感銘を受けるものだとは思いませんでした。
「古きを耕し、新しきを醸す」 そんな言葉が頭をよぎる、父の静かな、しかし力強い生き方。 地域の宝とは、こうした何気ない暮らしの中にこそ眠っているのかもしれません。
(代表理事 田辺一彦)