お世話になっている澁澤寿一さんの講演会を開催し、私自身も講演をお聞きしました。
澁澤寿一さんのお話を、もう何回お聞きしたのだろう。また、講演会だけではなく、他にもたくさんの機会もいただき、多くのお話を間近でお聞きもしている。なのに、出会ってからの8年間で何ができたのだろうか…。澁澤さんのお話をお聞きした後に、いつもこんな感じで落ち込んでしまう私がいます。
今回の講演会でも、
- 稼ぎと仕事の違いは? 両方できて一人前!
- よそ者の意義とは
- 共感と社会性とは
- 人も地域も【何をするか・したいか(do)】の前に【どうあるか・ありたいか(be)】が大事
- 高度経済成長期に、持続可能システムのバランスが崩れた
- 古き良き日の日本は「循環型社会」だった
- 類人猿の中で「共感」を持っているのは、人とゴリラ・・食卓を囲み、分け合って食べる⇒食卓を囲まない家族・SNSの噂話でつながるPTA・祭の消滅・地域コミュニティの崩壊⇒ゴリラから退化し、サル化する人間
などなど、これにとどまらず、たくさんの呆気にとられるお話をいただきました。

今回のお話で、脳天気な私がグッときた部分としては、
「澁澤さんの幼少期、東京・渋谷の街には、まだ下肥(ウンチ・オシッコ等、人間の排泄物)を運ぶ人達が、大八車を引いていた」「その下肥に、相撲のような番付があった」「東京では吉原の下肥が横綱だった」と。
この様に、60年ほど前(前回の大阪万博より少し前)は、何も捨てることはせず、すべてが大切なものとして社会の仕組みとして循環していたのだ。
今回オリンピックの開催国だったパリでは、セーヌ川でトライアスロンのスイムが行われ、話題となったが、同じ60年ほど前のパリでは、人間の排泄物はすべて川へ流され、ヘドロだらけで大変なことになっていたようだ。その頃、パリの人にとっては「日本とはなんてすごい国なんだ!捨てるものがない、循環型の社会がここにある!」と驚いたとのことだった。
ちょうど今、大阪で万博が開かれ、「今後の世界の技術はこの様に進むであろう!」的に賑わっているが、60年ほど前の前回の大阪万博ももちろんその時代の最先端技術が披露され、世界・日本は今後の素晴らしい未来に夢をみたはずである。
しかし、その裏で「効率」を追い求め、「費用対効果」「GNP」を強く意識し、「学歴」「大企業」「高収入」でステイタスを感じることとなり…その結果、持続可能な社会を作るのに大切なたくさんの「心・考え・感覚」を失ってしまった。
高度経済成長期から現在までの、たった60年ほどの間にである。
「世界が、社会が、この様に進んでいるから私もこう進む」ではなく「私はこうありたいから、このような社会を作る」です。
何回お話をお聞きしても結果を出すことができず、悩ましい日々が続きますが、一歩一歩前進するしかない。そう自分自身に言い聞かせながら、今日も文章を書いています。「次の時代かもな…少し結果が出るのは」なんて思いながら。
(代表理事 田辺一彦)